詩・モード Z a m b o a volume . 17 |
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新月 八木珠実 ドア越しに おかあさんが ごめんなさいね と 言った 夕食の食器を下げに 二階の私の部屋まで来たとき いつもなら すぐ降りてゆくのに 食器の側に座り込んでしまった 私が誰とも口をきかなくなったのは 小学校へ上がる前から 鉛筆を握らされていたからだって おとうさんのかわりに すぐに手を上げるおばあちゃんが いたからだって 育て方が間違ってたんだって 今日相談に行った 何とかっていう先生に言われたんだって だから私は その夜家を抜け出して 海岸沿いを走るバスの 最終便に飛び乗ったの 今日を境に 握り締めていた手のひらから 擦り抜けてゆく私という誰かを捕まえたくて バスの窓から 夜の海に手を伸ばしていたの おかあさん おばあちゃん それから よく分かんないけど 何とかっていう先生も あのね 理由はもっと 単純なの 四十人のクラスが一学年に九つ 全校生徒数千人以上のマンモス校に 朝から夕方までいるのに 一日中 誰の影も踏まない日が いつまでも続くと 私の見ている景色はまるで つけっぱなしのテレビのようで ブラウン管から聞こえてくる 「あなた」という無数の声が 何を指しているのか 確かめたくなったの ただそれだけ 海岸沿いは どこで終わるんだろう 窓の景色は いつ変わるんだろう 私は どこにいるんだろう 水平線に乗っかった 離れ小島の幻影を 遠ざけていくバスの窓から 私は泣いた pagetop / contents |
photograph : : ni-na |
一瞬の鏡 八木珠実 地下鉄の階段を上って 西口を出た僕と 行き違いに階下へ下りていった人の方を 振り返る ダーク・グリーンのジャケットを着た どこにでもある後ろ姿のその人は 同行する人と背中で何か言い合いながら 手摺りを伝って3番ホームへ駆け下りる 踊り場の角を曲るとき 横目で一瞬僕を見たが 立ち止まるはずはないか 僕も向き直る あれは誰でもない 僕には人の顔をじっと見る癖がある 街灯の点り始める駅の側の大通りで 会社帰りの人を見かけては 僕は時々 振り返りながら歩く 自分の顔もよく見る 磨かれたビルのガラス戸や街路樹の下の水溜まりに 自分の顔が写るたびに 僕は数秒立ち止まる 昔 僕が 父親はどんな顔をしているのか 知りたいといったら 見せてあげる と母が 僕に手渡したのは 拳ほどの大きさの 手鏡だった 顔の前に持っていき 中を覗いてみるが いつもの見慣れた僕の顔があるだけ 「一体これがどうしたっていうの?」 その顔がねぇ 大人になったら お父さんとおんなじになるよ 僕の後ろから 鏡の中を指差して母はそう言った 僕がお腹にできて 生むことを決めたときに 父の写真はほとんど捨てたと いつか母は話してくれたが 僕のためにという名実で 残してあるその一枚が どこにしまってあるのか 僕は未だに知らない 通りすがりの誰かが 僕の側を通り抜けたとき どんな顔をしていただろうか それを考えあぐねながら 道を歩くたびに 僕は鏡の前に突き当たって 立ち止まるんだ pagetop / contents |
左手 八木珠実 この頭痛は 脳細胞の 絡まる痛み 一緒に暮らし続けていくには どうしてこうなってしまったのか 神髄まで掘り下げて乗り越えるしかないけれど それが分かったところですでに どこにも手を打つ隙間はなく 荒ぶった声だけが 虚しく跳ね返る 嫌でも家族は運命を共にしてしまうことを この人は受け入れようとしない 空の瓶が転がる 廊下に顔をぶつける音がする 心のしがらみにがんじがらめにされて なお 秒針の舌打ちが唯一の味方と信じるのなら もはや年をとっていないも同然だ 溜まった思いを淡々と話したい のに 無視していた感情たちが湧き出る 涙で声が詰まる ものの言えないもどかしさ 家の外での忙しさが どれだけ精神の余暇を作っても 思考と感情は違う部分で生まれてくる それが私の生きている回避しきれない現実だ 私は 考えることがなくなるのが恐い 先を急ぐ思考回路にとり残された寂しさを 無性に慰めたい時があって 誰でもいい 自分より大きな腕に すっぽり包まれていたい 黙って頭を撫でてほしい 慰めの言葉や特別な気持ちなんか持ち合わせていなくても 私のことが嫌いじゃなかったら 本当にもう それだけで構わない 見下していた感情が 私の全身全霊と化すのを 見据えてくれる器がほしい そんな願望が 私の全身全霊となる時がある おやすみなさい 私は 自分のために荒れたベッドを整えて 自分の体を痛むほど小さく丸めて 自分の左手で 自分の頭を静かに撫でた |
待ちぼうけ 八木珠実 土木作業員になって 約一カ月目のその日 父は仕事中に佇んで 行き交う人々の顔を ずっと見ていたのだという セールスの仕事で 一日中街を歩き回る母が 偶然通りかかるのを 願っていたのだ 還暦を迎えた父の採用は奇跡に近かった 元来職人であった父の 長年日に焦がされた黒い岩のような手が 社長にいたく気に入られたのだそうだ わしは あの社長のとこやったら やっていけると思うんよ もう 骨を埋める気で おるんよ 八年前の脳梗塞以来 滑舌を奪われたもどかしい口調で父は言い 職安から持ち帰った その会社の求人票を 遅くまで 眺めていた 初仕事の日は 気まぐれに小雨が降っては止む陰鬱な天気だった 用心にと 母に着替えとタオルを持たされて 父は朝六時半に家を出た しかし 初老に差しかかり 思うように動くはずのない愚鈍な体は 次第に周りからの叱咤の声を煽るようになり それからの毎日 進歩のない やる気だけの人間として 父は日毎に周囲にうとましがられていった 土木作業員になって約一カ月目のその日 父は 現場から着々と削り取られる 自分の居場所に佇んで もし今偶然通り掛かった母が 手を振りながら近寄ってきて 自分に声を掛けてくれればと 行き交う人々を眺めていたのだ あんたも頑張りよ 私も頑張りよんじゃけん 空想の中で 父は母との短い会話を交わし 日が暮れるまでの後数時間をながらえた 今日も明日もこれからも 父は家に帰りたくてしょうがないのだ 人が 本能という小さな種に戻るのを 阻む物のない厚い壁の内側に 帰りたくてしょうがないのだ |
2001年詩のボクシング愛媛大会チャンピオン。 今回の特集を読んでくれた方には、詩にその肩書きがまったく必要ないことを 理解していただけるのではないかと思う。 良い詩というものがどういうものか、説明することはとても難しい。 しかし人の心をとらえる詩というものは、確実に行間から光を放っているものだと思う。 僕が八木珠実の詩を初めて目にしたのはたった十行ほどの引用部分だったけれど、 それを見た瞬間に今回の特集を胸に決めていた。 編集者として、これだけの詩をきちんと届けることができないのなら、 僕はこんな仕事をやっている意味がないじゃないかとさえ思った。 こんな詩を書いてくれるのなら、僕はそれを送り出すためになんだってやる。 この詩を必要としているソウルに、ちゃんと届ける。 八木珠実の書く詩には、そう思わせる何かがあった。 まだ終わってはいないがそれが僕の仕事で、 今回ひとまずデリバリーできたことに、いささかながらほっとした気分である。 読者にとっては心をゆらゆらと揺らすこの言葉たちが、 詩を志している人間にとっては、別の意味で気持ちを揺らすことになるだろう、 そう僕は思っている。 しっかりと足を地面につけて、自分の闘いをしてほしい。 僕達はレースをしているのではなく、 それが厳しいものであれ、ゆるやかなものであれ、 自分自身に永遠のタイムアタックをしかけているものなのだから。 text●木村ユウ special thanks to 十亀わら |