詩・モード 
Z a m b o a  volume . 12

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 photograph : : ni-na 
清水哲男特集

   
 
 
 
 現代詩はつまらないのか?
 いや全然面白いと思う。
 なんだよ、って思われる方も多いだろう。
 お前がいつもそう言ってるじゃないか、
 現代詩なんか誰も見てないし読んでないって、
 そう言ってるじゃないか。
 言ってることに筋通ってないじゃないか。
  
 いいえ。
 僕が言ってるのは、とっくに時代が変わっているのに、
 先人の残した現代詩にいつまでもとらわれ、
 時代遅れの言葉、時代遅れの感覚でものを書いてちゃ、
 もうそんなの誰も読まない、
 読むなら本物を読むほうが全然いい、
 ということ。
  
 例えばレモン。
 レモンという言葉は結構詩で使われている。
 有名なのは高村光太郎の「レモン哀歌」だろうが、
 今もしあなたが詩の中にレモンという言葉を使うとき、
 それは今の時代の感覚で、
 きちんとレモンを使っているかどうか。
 言葉が変わっていないから同じ言葉だと思ったら失敗する。
 古い詩の中でレモンが光っていたからといって、
 今の詩にレモンを持ってきて果たして光るかどうか。
 それを自覚して、そこに挑戦しているかどうか。
 
 僕は、才能のある連中が
 いまだに古い感覚でものを書いていることが、
 とてもかなしい。
 このままではあと50年経ったとき、
 今の時代の言葉が詩として、
 まったく残らないことになってしまう。
 
 ―――時代背景は幼少年に拘わらず反映してくる。
    それを、見出す、言葉にする。
 
 これは下に掲げるコラムでの河野龍彦の言葉だが、
 僕はその原稿をメールで受け取ったあと、
 詩人の責任ということについて考え続けている。
 
 
 清水哲男特集。
 選詩は七篇。それ以外の詩からも、
 いくつかの断片ををタイポグラフィにしてちりばめてみた。
 もしあなたの言葉が光っていないとしたら
 それはどうしてなのか、
 もう一度向き合ってみる必要があるかもしれない。
 
 言葉はパワーだ。
 
 
 text●木村ユウ

select contents
 
●清水哲男特集
 
「冷たい夢」 
「皿の火」
「歳月抄」
「歯型のついた十四行詩」 
「夜の台所で情を抒べるとすれば」 
「僕が君をどんなに好きか、君にはわかるまい」 
「恋人たち」

●耀乃口穰の『パルス・ウィーブ』第3回

●投稿作品から「剥離」/umineko
 


 
 
 
 
 
  冷たい夢
              清水哲男 
 
 
 
庭の木蔭に
長椅子を持ち出して
昼寝をしているうちに
朝顔のつるは伸び
伸びてつるは
その人の脚にからまり
心臓の上を恋の心で這って
鼻腔へと伸び入り
頭蓋のなかで
線香花火のように
幾百もの花を明滅させたとき
その人の夢のなかでは
八月の庭に
まぎれもない粉雪が
舞い散るのであった。


 photograph : : HANATO
 
 

 
 
 
 
 
 

 
  皿の火
              清水哲男 
 
 
 
皿に火がある
いや
火が皿になろうと油ぎっている
雪を待つ小さな郵便局の
古びた小机の上で
スタンプのようにひっそりと
仔猫が眠っている
人間はいない
いないからこの光景には
淋しさがない
火が皿に這う
スタンプ台の朱が溢れる
釘箱の中の釘が動く
仔猫が夢見る
黒いカバンが匂う
洗面所の闇も流れてくる
そして
突然の口笛
人間が入ってくる
火はもうほとんど血である
やがて皿になるだろうに
そうはさせじと
人間が皿に油を注ぐ
初雪のようなその淡いまなざしで

 

 
 
 
 
 
  歳月抄
              清水哲男 
 
 
 
酔って帰って
洗面所でマッチをすって
つめたい水を見つけようとして
しかし燃える木の光りは
燃える木の光りだけを写す
鏡のような水のありかを
洗面器のなかに告げるばかりで
その水は指先に
ぬるぬるとまとわりつき
泥の光りへと
ぼくのかわきを埋めこむようで
こうしていままで
酔って帰って
何度泣いたことだろうと
燃える木を泥のなかに捨ててしまい
くらやみのなかで男は
もう一度マッチをすり
ぬるぬるの鏡のなかにも
歳月のあることを
燃える頭で
たしかめようとするのだった。

  
 
 


 photograph : : HANATO
 
 
 
 
 

  歯型のついた十四行詩

                  清水哲男 
 
 
 
五歳の娘が、ひっくり返って泣く。
私もひっくり返って泣きたいのに、
私はそれができない、と思っている。
 
地獄のことを話したのだ。
つんのめって鬼たちが、
娘の新しい赤い自転車を噛りに来る話を。
 
高校時代だったか、
私は本当に自転車を噛ったことがあるのだ。
その錆びた味は心に沁みたし、
泣きたい心は、ますます泣きたくなるのであった。
 
味噌汁をひっくり返したような声で、
娘はまだ泣きやまない。
私はわかめ色のサドルを味わった舌で、
棒グラフのような娘の人生を、なめようとしているのか。

 
 
 

 
 
 ○最後の戦後詩「のらくろ」----河野龍彦
 
 清水哲男氏の「のらくろ」の作品に出会ったのは、
 昭和五十七年四月号の「国文学」の雑誌であった。
 昭和十三年生まれの哲男氏は終戦七歳にして、
 戦中、戦後の小国民としての最後の生き証人である。
 終戦の時代背景を「のらくろ」に置き換えて、
 東京から山口県に疎開していく現状に、
 我が家庭を、「のらくろ軍団」と置き換えて作品にしている。
 我が両親は疎開は無かったようだが、戦中戦後の体験を話そうともしない。
 まるで、封印しているかのように。
 漫画と野球が好きな少年は、小学校三年生の時に、句作を始めている。

 春が来て小鳥さえずりうれしいな
 

 時代背景は幼少年に拘わらず反映してくる。
 それを、見出す、言葉にする。
 詩人と口に出す者であるならば、当然の責任と感じる。
 
 text●河野龍彦
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

夜の台所で情を抒べるとすれば

清水哲男 
 
 
 

君の狂気を
なにものかの狂気と重ねて
録音しておきたまえ。
 
夜の台所のながしに
飲み残しのビールを捨てる
ざわっと白い泡がたって
いきなりそれを
「血だ」
と思う
なぜ白い泡がざわっと赤い血であるのか
こわくてこわくて
もう
「お母さん」
などとは言えない年齢に気がつく
さっきまでテレビで
名も知らぬ高山植物の花を見ていて
その冷たい花のふるえを見ていて
むかし山の中に住んでいた頃
植物図鑑で
花の名前を調べて歩いて
結局はなにひとつわからなかったことを
思い出していた
それにしてもこんなにも
小さな花に見いったということが
いままでにあっただろうか
見よう見ようと努力してみても
見つめられなかった花が
むしろむこうのほうから
私の目をひきにくるという不思議
解説者の声を録音しておけばよかったと
一瞬くやまれたが
しかしそんな声を
何度も何度も再生して聴きながら
ビールを飲む淋しさに
いまの私がよく耐えられるであろうか
「お母さん」
と口に出してみて
白い泡の消え果てたながしに
自分の顔がぼんやりと写っていることに
気がつく
その顔は血で洗われて
小さな花のように冷たく
しかし
黒い目を種粒のようにそなえている
その黒い目を指先で押えつけようとして
しかし
目を閉じたほうがよいことに気がつき
目を閉じてみて
目を閉じた闇のなかに
白い泡がざわっとゆらめくのを感じて
耐えようとして
しばらく……
耐えて
耐えているうちに
目のふちの皺に爪をくいこませていた
名も知らぬ女の人の姿を思い出した
その女の人の乳頭には
黒くて小さな粒が吹き出ていて
洗いざらしのシーツの上に
こぼれんばかりなのであった
この白い岩陰の花の種子
その女の人の声も録音しておけばよかったと
目のふちの皺を撫でてみる
粗い顔だ
粗い骨組みだ
この顔を押しつけられればきっと
酸っぱいようなにおいがするにちがいない
「たすけてよ、お母さん」
声には出さず目を開く
急に兇暴な力が湧いてきて
棚の上の粗い皮を持つオレンジの
果肉のなかにぐしゃりと
指を突き入れる
食欲が無いからこのオレンジだって
美しく見えていたことに
その瞬間に気がついたりする
指を引き抜いて電球にかざせば
「お母さん」
べたべたの指の筋肉が冷たくふるえている
「ぼくはいままでに一度だって、
こんなことをしたことはなかったんです」
と言ってみたところで
なにをどのように弁解したことになるのであろうか
ジーンズの尻ポケットのあたりに
べたべたの指をなすりつけて
呆然としてぐちゃぐちゃのオレンジを見る
もちろんこいつは劇ではないが
四十一歳の私が
いま砕き終えたひとつの淋しさは
たしかに劇的なものであったことを
納得しておく必要はあるようだ
オレンジの美しさの歪められる音もまた
録音しておけばよかったと
果汁の泡で濁っていきつつある私の頭が
あの小さな花のように冷たく
かすかに意識する
それからゆっくりと
台所の窓を引き開ける
窓から顔を出すと
いきなり酸っぱいようなにおいがして
風の無い東京の空に
珍しく色の濃い星がいくつか光っている
目が冷たく
そして痛い
目が痛く
そして淋しい
「目のなかの星……」
と声に出してみて
むかし見たトラホーム予防のためのポスターを思い出し
濁りかけた頭は不意に
笑い出したい気持ちでいっぱいになるのであった
「目のなかの星……」だってよ
お歯にあわねえ
……のかしらね、ほんとうに。
 
もしできるなら君の狂気を
なにものかの狂気と重ねあわせて
録音しておきたまえ。 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

僕が君をどんなに好きか、君にはわかるまい

清水哲男 
 
 

1
 
君の部屋に鉄はあるか
雨がやってくる日のための水盤と
口腔に沈む半身の月とを背負って
白昼いきなり擦れちがう二頭の馬の
蹄鉄の嵐が聞こえているか

2
 
涙の高さを決めかねたまま
再び ねじりん棒の五月は往こうとしている
ひと握りの吃音の砂利に陽をあてて
乳母車にまたがったひとりの少女を置き去りにして

3
 
君の部屋に鉄はあるか
草の高さに立ち枯れたまま
どこか任意の部屋に監禁されている
もう笑いあうこともない若者たちの
避雷針の声が聞こえているか

4
 
たしかに雨期は待たれている
脱衣するひとに
手鏡に身を委せるひとに
やがて水滴は確実に河ぞいにやって来て
眼球のように一度拡大してから殺すだろう

5
 
君の部屋に鉄はあるか
はつなつの唇にピリオドを打ちあい吹きつけあい
首から下だけでもプリズムの角に追いつめていく憎みながらの前進よ!
ああ そんなおれたちの精密にだらけていた仕種だけでも
ハーケンの手応えとして君はまだ憶えていてくれるだろうか

   註 タイトルはジョン・アプダイクの同名小説から借用。


 

 
 
 

 photograph : : HANATO
 
 
 
 
 
 
  恋人たち
              清水哲男 
 
 
 
ぼくたちは肉を食べる
体温計をさしこんだ太股を開いて
このつめたい東京の
つめたい床の上で
 
壁際で振子のようにとまっているのは
色画用紙のくずがいっぱいつまった
白いビーズのハンドバッグであり
動いているのは
このつめたい東京の
つめたい挨だけなのだから
 
だからぼくたちは肉を食べる
肩紐のずり落ちた肩をそのままに
このつめたい野菜の芯で死んだ
つめたい虫を意識しながらね
 
テーブルで木目のように動いているのは
かぎりない糞と綿飴にまみれてきた
赤いマニキュアの指先であり
とまっているのは
このつめたい野菜の
つめたい光りだけなのだから
 
でもぼくたちは肉を食べる
濡れた靴を脱いだ匂いの充満した
このつめたい四畳半の押入れに
つめたい毛布をしまいこんだままで
 
ともあれ
最初の一日はそうしてはじまったのであり
そして
それはそれでよかったのだった


 photograph : : HANATO


「冷たい夢」「歳月抄」 詩集<甘い声>所収
「皿の火」「歯型のついた十四行詩」 詩集<雨の日の鳥>所収
「夜の台所で情を抒べるとすれば」 詩集<東京>所収
「僕が君をどんなに好きか、君にはわかるまい」 詩集<水甕座の水>所収
「恋人たち」詩集<スピーチ・バルーン>所収
 
○口許を見ていて<からだ>を感じさせない女優は駄目だ (PRINT e)
○飲めば死ぬ。飲まなくても死ぬ。 (飲酒の世紀末)
○小説家は書くことに疑問を持たないようだ。昔からだ (昔からだ)
○睾丸を塩で揉んでみるというのはどうか (凜乎抄)
○夜の台所のながしに飲み残しのビールを捨てるざわっと白い泡がたっていきなりそれを「血だ」と思う
(夜の台所で情を抒べるとすれば)
○女の肉汁は不快だ (逆旅、あるいは'78年8月20日のメモ)
○一度は射精しておきたかったよ。手のひらに (手を歌う)
 
 
清水哲男『増殖する俳句歳時記』 http://www02.so-net.ne.jp/~fmmitaka/

 
 



  


 
 
 

 


 

つなぎとめたいもの、取り戻したいものがあります。 ‥‥同じように、
わたしにも。
 

 photograph : :
ni-na 
 

 
 
転倒

 
                     耀乃口 穰
 

どうやらわたしは
あの深夜の浴室についての何かを
言いたいらしいのです
 
(わたしは腰までしかない
 ぬるく冷えた湯につかり
 その温度は
 まるで水のよう)
 
要はあの頃、去年の夏が終わり
誕生日が過ぎたころ
そこで一月以上動けずにいたわたしと
その、記憶について
 
目にみえていた光景だけなら
描くことはたやすいでしょう
いくらでも
だけどわたしは
その先を語ることが恐ろしいらしく
進もうとするするわたしの舌は
 
もつれ
 
意識は
白くぼんやりとした蛍光灯や
タイルの溝にしみたかびのまわりを
終わりなく回りだしてしまうようです
 
(隙間から流れ込む
 冷たい風に
 数え切れず鳥肌をたてながら)
 
肝心かなめのことがらの
外縁ばかりを延々となで回し
 
(今日も晴天となるでしょう
 夕方はところにより雷雨があるかもしれません)
 
他に何か続けるべき言葉があるはずなのに
それを見失って
 
あろうことか
 
向かいの家から漏れてくる
気象予報のフレーズを
聞こえてくるままに復唱してしまう
 
そんな日々がずいぶん長く続いています
 
いまのわたしは長い雨がやんだあとの風に
だらしなく眠たく当たっているようなもの
 
(来週、バーゲンセールで
 かかとのたかいサンダルと新しい服がほしい)
 
今、この明るい夏の部屋には
あの湿った冷気はとどきません
 
気温もどんどん上昇して
 
わたしを脅かしていたものはすべて
遠くへ行ってしまったはずなのに
 
立ち入れば
 
(濡れたタイルに足をとられてすべり
 転んで
 尻餅をつき
 見られたくはないものまで丸見えになりそうな)
 
浴室。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 photograph : : HANATO

 
 
 


  

剥離
                  umineko 
 

 
その瞬間
私の手の甲に
冷たく鈍い痛みが走る
 
うっすらと
滲みはじめるその赤に
私は泣いた
 
聞き付けた母親が
どこからかやってきて
兄をたしなめる
 
あなた
おにいちゃん
なんだから
 
そうだそうだ

誇らしく 泣く
 
その傷は
ただの浅いひっかき傷で
血も滲んだがその程度
しかし
私のくすんだ心は
その程度では終われない
 
毎夜
寝床にはいっては
乾き始めたかさぶたを
ゆっくりと剥ぐ
 
透明な液
小さな痛み
そして残虐な
笑み
 
数日後
私は母親に
左手を差し出した
 
お兄ちゃんに
つけられた傷
こんなになった
 
その時
母がどんな表情だったか
私はうまく思い出せない
そのあと
兄と
どうなったのか
 
たぶん
兄も母も
誰も覚えていないだろうし
傷なんてもう
跡形もないわけだし
 
だけど
貴方に知って欲しいのは
 
私に巣食う胸の悪魔が
いつか
貴方を苛むことを
 
ただ
貴方に知って欲しかった
 
貴方に








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   2002.7.1