ぼくの言葉は本当にぼくの言葉なのだろうか?
ぼくのスタイルは本当にぼくのスタイルなのだろうか?
ぼくの心は、ぼくのと思っていたこの心は、
本当に、そうなんだろうか?
それを探り、先を歩いていった人々に捧げる、
トリビュート。

 
時代を問わず名詩を不定期でお届けしていくトリビュート。
第二回目は嵯峨信之。巻末に年譜を掲載


 

 





 
 
怒涛の二十世紀を自ら肌で感じ、川岸の向こう側へ渡っていく「死」を探求し続けた詩人がいた。嵯峨信之(大草実)一九〇二年宮崎県郡山で生まれ、九十七年東大付属病院にて九十五年の生涯を閉じた。

 母体の中に生命が宿った時から「死」という重荷を担う。嵯峨は生涯「死」と対峙してきた。嵯峨の作品に出会ったのは、今から二十年前になる。第三詩集『時刻表』(一九七五年詩学社刊)であった。感銘というより、ある特異なショックを感じたのを覚えている。既に発行していた、『開かれる日、閉ざされる日』の二冊の詩集は、十数年卓上の横に置いている。

 詩作、執筆に行き詰まった時には、無意識的にどちらかの詩集を持って喫茶店に向かう。無作為的にページを開く。見覚えがある作品に、珈琲一杯分の時間と共に余韻が心に響く。以前読んだ、別な新たな余韻が。暗示的というより、日々移ろいでいく、人間の心が嵯峨の作品が生きてくるのだ。生と死の境界線は無い。記憶が遠のく事が本当な「死」だと。読み耽る僕の背後に、大草実が立っていることを信じたい。
 
text●河野龍彦 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 

Vol.1 菱山修三


  ノアの方舟  嵯峨信之
 
 
眠つているぼくを起こしにくるのは
どこかの水平線だ
そのやわらかな水平線が
縫目のないしかたで遠くからぼくの瞼を撫でる
それでもぼくが目ざめなかつたら
ノアの方舟の鐘を鳴らして起こされるだろう
ぼくのはるかな記憶を利用して
その背後にひろがる緑の反響で
だがぼくはなお目ざめない
しずかなしずかな瞼の中をどこまでも漂流していく
ぼくには遠ざかるものしか
まだ来ていない
 
 
    *
 
ぼくは眼を刳りとつた
心をぼくにしかと釘づけするために
ぼくは耳もおもいきり削いだ
たれからも全くぼくが自由であるように
ぼくは唇を縫い合わせた
他から何一つ求めないために
ぼくは両足を断ち切つた
たれも行きついたもののない遠くへ行きつくために
ぼくは両手を切り落とした
さいごに抱いたものを全身で記憶するために
 
この世にはどこかに大凪の海があるだろう
少しずつ少しずつ流れている大凪の海があるだろう
もしぼくがその海を空樽のように漂流していたら
いつかはノアの方舟が拾いあげてくれるだろう
そしてぼくを新らしい世界へ送りとどけるために
方舟は鐘を鳴らしながらゆるやかに進路を変えるだろう














時という靴  嵯峨信之
 
 
わたしはふと地球の孤独と対いあつた
はてしれぬ宇宙を旅している地球が
しずかに傾きつつわたしの傍を通りすぎる
それから空はただむやみに遠くひろがるばかり
鯨が一頭
海水を噴きあげながら悠悠と暗い海に呑みこまれた
いまわたしはどこの岸辺に立つているのだろう
どこから遠い谺は帰つてくるのか
それは空のはてにある
白い都からだ
そこではひとびとの繋き往来はあるが
それらのひとはもう時という靴を穿いていない
 
 
    *
 
きみはいま靴を脱いだのだ
充分きみを支えていると思つていたその靴が
脱いでみればまことに他愛ないものだ
ほんとうに大地の上にそれで立つていたのか
世界中をきみがそれで歩いてきたように
ある大きな存在が
きみという靴を穿いて
この宇宙を通過したのではないのか
ぼくはその遠ざかる大きな存在に触れて
反対にきみのなかへ小さく帰つていく
そしてきみの擦り減らした古靴の片つ方が
そこに侘びしく残つているのをみた














犬二題  嵯峨信之
 
 
少し そこをどいてください
影よ 動いている影よ
精神はどんな顔をもつているのですか
その重さは何で量るのですか
ぼくは小犬を地に叩きつけて殺した
夕闇のなかで ぼくの周りをいつまでも駈けまわつていた小犬を
 
 
    *
 
夜が始まつている
遠くでさらに別の夜が始まつている
二つの夜が近づきまた離れるたびに
透明なそのあわいに姿をみせていたものがひとりまたひとり消えていつた
なぜぼくは愛され
なぜぼくは憎まれたのか
いま毒におかされて骨ばかりになつたぼくの足を
夜になると痩せ衰えた老犬が舌を垂れて舐めまわしにやつてくる














借りを返えす  嵯峨信之
 
 
ゆつくりとくと考えてみたい
死への路上をこんなに気軽に歩いていつていいかどうか
足跡を残さないことは
小さな泥鰌にとそつくりおなじだ
息のつまつたような泣き声も泥鰌に似ている
たとえどんなぶざまな死であつても
どうか笑わないでください
かれはたつたひとりで借りをかえしたのですから














入江のほとり  嵯峨信之
 
 
もう何年も昔から
ぼくの小さな船着場にやつてくる舟はない
血の岸で草むらを小さな闇が囲み終わつた
そこへ死は簡単にやつてくる
一台の貨物自動車から積荷はつぎつぎにおろされている
他の岸は大雪だ
やわらかに全てが忘れられている
ただ一軒の安宿にいま灯がはいつたばかりだ
さつきの貨物自動車がその前を急がしく帰つていつた














小さな位置  嵯峨信之
 
 
誰にも忘れられることは恐ろしい
それは死のなかにもいなくなることだ
たとえば笊のなかのおたまじゃくしに水をやることでも生甲斐がある
そのとき小きざみに動くおたまじゃくしの黒い影は
誰かの記憶にあるぼくの遠い影だからだ
そしてぼくはそこにぼくの小さな位置を刻むのだ
 
 
    *
 
太陽と言葉との間に
ぼくは硝子の長い梯子を立てかける
どこまでもそれを登つていつてぼくは夜を探すのだ
もし暗黒がものの始めなら
ぼくはそこから死を手に持つて降りてくるだろう
まるで影のようにそれと慣れあつて
 
 
 
   永遠はなにも言わない
    
   ただ時の鐘をつるしているだけだ
 
  
(詩集『開かれる日、閉ざされる日』の序文)














窓  嵯峨信之
 
 
一つの窓をおもいだした
外は恐ろしいような真つ白い空だつた
窓から外を見ていた子供が急に大声で泣きだした
空にゆれている大きな時の鐘を見たのだ
子供でも消してしまう大きな時の鐘を
 
鐘が鳴りだした
行かねばならぬと次の男がたち去つていつた














雑草詩篇  嵯峨信之
 
 
    *
 
水子たちが捨てられるのは
どこの家でも片隅の暗い溝である
夜と溝とのほか知るものはない
それがどこへながれていくかだれも知つていない
 
生きようとするものは
その透明な尾びれをしばらくふるわせるが
いつかそれも消えてしまう
 
きまつているのは
水子たちはどこかへ行かねばならぬということだ
帰路のないひそかな遠いところへ
 
 
 
    *
 
円の中は
隅々まで明るい
そこに一匹の目高を泳がせよう














掌上噴水  嵯峨信之
 
 
    *
 
余白の多い手紙をあなたは読みふける
砂漠からながれでたひとすじの流れのような手紙を
それを書いたひとの面影はもう消えている
ふたりのあいだには匂うような日があつたのだろう
言葉少なく語られている幸福が
いまあなたの顔をあげさせる
あなたは空がもつと明るくなればいいと思つているようだ
 
どこまでもつづいている真つ白い空が
小さく区切られると
あなたの心のなかの遠い空になる
 
手紙のひとはいまその小さな空の下に立つている
そのひとのかすかなもの憂い動きを
あなたは遠い祖先のだれかの動きのように感じはじめる














生々流転  嵯峨信之
 
 
生きることからも
死ぬことからも
ぼくは果てしなく遠ざかる
 
心の空に
軽気球がぼんやり浮かんでいる
 
人間に氏名をつけることは
そのようなことから始まつた
 
漂流物の上に小鳥をとまらせるように
















●出典
 
「ノアの方舟」 詩集『愛と死の数え唄』1957年詩学社刊
「時という靴」 詩集『愛と死の数え唄』1957年詩学社刊
「犬二題」 詩集『魂の中の死』1966年詩学社刊
「借りを返えす」 詩集『魂の中の死』1966年詩学社刊
「入江のほとり」 詩集『時刻表』1975年詩学社刊
「小さな位置」 詩集『時刻表』1975年詩学社刊
「窓」 詩集『開かれる日、閉ざされる日』1980年詩学社刊 
「雑草詩篇」 詩集『土地の名〜人間の名』1986年詩学社刊 
「掌上噴水」 詩集『OB抒情歌』1988年詩学社刊
「生々流転」 詩集『小詩無辺』1994年詩学社刊
 
注:愛と死の数え唄、魂の中の死 は、嵯峨信之詩集 1985年青土社
  土地の名〜人間の名、小詩無辺 は、嵯峨信之詩集 2002年芸林書房から底本とした。
 
 
●年譜
 
明治35年(1902)4月18日宮崎県都城市牟田町出生 本名 大草実
大正7年(1918)16歳 文学に目覚める。萩原朔太郎の詩に漂う作者の孤独感が
強く身に沁みて共感を覚え、朔太郎と1、2度の文通を交わす。
大正12年(1923)21歳 萩原朔太郎に師事する為に詩人・橋元吉宅に寄寓する。
大正14年(1925)23歳 文芸春秋の正社員となる。社長、菊池寛
昭和11年(1936)34歳 文芸春秋退社
昭和22年(1947)44歳 詩学創刊。当時、編集長は、城左門。
昭和32年(1957)55歳 詩集『愛と死の数え唄』詩学社刊行
昭和41年(1966)64歳 詩集『魂の中の死』詩学社刊行
昭和45年(1972)70歳 築地国立がんセンターにて、妻梢死去。
昭和49年(1975)73歳 詩集『時刻表』詩学社刊行
昭和54年(1980)78歳 詩集『開かれる日、閉ざされる日』詩学社刊行
昭和60年(1986)84歳 詩集『土地の名〜人間の名』詩学社刊行
昭和62年(1988)86歳 詩集『OB抒情歌』詩学社刊行
平成6年(1994)92歳 詩集『小詩無辺』詩学社刊行
平成9年(1997)95歳 東大付属病院にて死去。

 
 




 
  
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