ぼくの言葉は本当にぼくの言葉なのだろうか?
ぼくのスタイルは本当にぼくのスタイルなのだろうか?
ぼくの心は、ぼくのと思っていたこの心は、
本当に、そうなんだろうか?
それを探り、先を歩いていった人々に捧げる、
トリビュート。

 
時代を問わず名詩を不定期でお届けしていくトリビュート。
第一回目は菱山修三。巻末に年譜と、
菱山修三の長女で詩人でもあり工芸家、本居佳子氏の寄稿を掲載


 

 





凍えきった暗喩の時代から反発するように
若い詩人達は暖かいことばの世界へと
いま歩き始めている。
ぬくもりを感じることばをもって
自分の歩幅で歩くことを始めたのだ。
もう難しいことばで詩を書くことなんか
できやしないというように・・
 
だが、今から40年も前に
このぬくもりをもって歩いていた詩人がいた。
それが菱山修三だ。
彼は当時、あまり注目されることもなく
ひとつの疎外された孤独をもって
最後まで青春の詩を
自分のぬくもりを確かめるように
「温容」と「従順」と
「確信」と「先見」とで
詩を書いていたのだ。
 
それはぼくが大学2年のときだった
詩人に憧れと羨望をもって詩を書いていた頃
ぼくは菱山修三の長女本居佳子を
同じキャンパスで知る。
そしてこの詩に
このあまりにも早く夭折した詩人の
研ぎ澄まされたことばに心酔することとなった。
 
ぼくは云いたい。
今、この現在にあわせるかのように
菱山修三は詩を書いていたのだと。
あらためて読み進めるにつれ
あまりにも現在の若い詩人が求めている
そのことばで
自己の内面に向かって書いていたのだと・・・
 
text●伊原れい 
 
 
 









  夢の風景  菱山修三
 
 
 夢の、またその夢の、底の底に、いつも水のようにひろがる風景、――長い、細い、川沿いの道・・・冬はひろびろと川床が涸れていた、夏は見違えるほど水が充ち、薄濁ったその水が、動くともなく動いていた・・・途中目じるしになる落ちた橋、水の上にいたましく、杭が剥き出しになっていた・・・そこから、あなたの家は近い・・・程なく生垣のなかに屋根が見える・・・ああ、その屋根の下に、あなたがいる・・・ひろい庭の、膨らんだ芝生を前に、日当たりのいい縁側から、咲き誇る向日葵のように、あなたは顔をだす・・・あなたの声は調子が高い、よくひびくその声が、明るく落ちて来る、この耳の底に・・・
 ふだんは遠い、夢よりも遠い、あなたの所在・・・そんなあなたの所在が、はかないまでに遠くなる、遠くなる、中空に揚げた雲雀のように・・・ああ、その、消えかかる一点を、私は見続ける、私は見続ける、飽かず、眼で問い耳で問いながら・・・














村雨  菱山修三
 
 
 林に雨が来て通り過ぎた。そのあとを風が追って行った。雨の過ぎた林全体がざわめいて、また雨が来たかと思われたが、風だけが過ぎた。着物を着替えるように、木の葉が裸かになって落葉を降らした。
 硝子張りの部屋のなかで、私達は黙って、それを見ていた。「――もしかすると、いま別れれば、それなり永久の別れになる。」二人はそう思ったが、やはり口に出して云わなかった。














霜  菱山修三
 
 
 夜毎、暗のなかに私は眼をさます。この居間の隣りの実験室にある沢山のフラスコが、そのなかの水が凍るせいか、次から次と毀れるらしい。私の手はもはや把むものを知らない。私はひどい咳をする。この咳のなかでまたフラスコがしきりに割れる。硝子の破片を齧みながら、折れ釘のようになりながら、私はひたすら夜明けを待つ。夜が明けると、窓の外の、屋根と塀と竹薮の上に、凄い霜がいちめんに降りている。














安心  菱山修三
 
 
 ふたりは庭の大理石のベンチへ腰を下ろす。ふたりのあたまの上では、何か木の花が匂っている。また、その木のなかでは、蜂が唸っている。日の光の輪が、その虹の反射が、彼女の髪の斜面でわななきながら光っている。二人はもうなんにも云わない!そうしてふしぎそうに、平凡な心臓の鼓動を聞いている。笑窪を寄せて、彼女は何か云おうとする。そうしてやっぱりなんにも云わずに、そのまま眼を閉じてしまう。














嘔き気  菱山修三
 
 
 屋根の片側を被うくらい大きな桐の木があった。その影が、庭先へ落ちて来て、薄絹のようにあなたを包んだ。あたりで蝉がいっせいに啼いていた。そのなかに立ちつくしたあなたは、麦色の肌をした十七歳の乙女だった。
 あなたは気持ちの平な乙女だった。無造作に髪の毛を二つに分けて編んだ束を両肩の上に垂らしていた。あなたの優しさが周囲の壁を洗っていた。日差しも木陰も風の色も、みんな綺麗に濡れていた。
 方々の庭に、薔薇と苺の匂いがした。垣根を越して、蜻蛉がしきりに舞い込んだ。あなたはあじさいの絵をかきながら、明るい日の方へ向いていた。私は本を読みながら、ときどき、あなたを眺めていた。私はかるい船酔いを感じていた。
 やがて、休暇がすむと、何もかも消えていた。まだ残っている船酔いに、私はあわれな嘔き気を感じていた。














冬  菱山修三
 
 
 冬は来る、かわりはてた、くびれた姿をして、世界の壁を灰色に塗りながら、冬は来る、こともなく、疲労と倦怠と絶望とを採り集めて、昔のままの引き摺って。僕の不幸を勇気づけるために、それはまた何を持ち込んで来たのか?待つがいい。合図の鐘はまだ鳴らない。忍ぶがいい、勇気を出して。僕の不幸が輝くのはもっと先のことだ。ああ、冬のなかに僕が、僕のなかに冬が、そうして、日ざしは、いちめんに枯れ草の上に。














青春  菱山修三
 
 
 なぜだろう?真剣に、いつも、あなたは怒った。不用意な僕の言葉に、あなたは云いがかりをつけた。云い返すと、押し倒すように、あなたはまた云い返した。だんだん怒っていることも忘れて、ふたりは争った。
 本当のところ、僕は一遍も怒ったことはない。ただ結論を、僕はいつも避けていた。不決断の状態に、僕は固執した。不和の原因といえば、それよりほかない。
 
 あなたの家に始めて泊った夜のことは、いまでも覚えている。云い争って夜がふけ、僕は帰りそびれた。あなたは僕のために縫ったというタオルの寝巻を出してきた。着てみると、それが僕の背丈よりずっと短かった。あなたは、涙でぬらしたままの頬で、笑い出した。笑いながら、眼から涙をこぼしていた。
 僕は送られて二階へ上った。僕だけひとり畳の部屋に寝た。あなたは隣の寝部屋へ這入った。壁を隔てて、あなたが大きな溜息を吐くのが聞こえた。それから、どすんとベットのスプリングが撥ねかえる音がした。
 
 深夜のしずけさが落ちた。あけ放った窓の外の、ふかい夜空に、僕等の絶望をあやすように、星が一つ二つひかっていた。















●寄稿 父によせて      本居佳子
           
 
 古いアルバムの中で父が微笑む。私が十三歳の時に亡くなった人の面影をなぞって見ている。守られるように幼い私が抱かれてよりそう。父はその胸の中にどんな想いを秘めていたのだろう・・。
 
 私の生れ育った世田谷の成城の家に、天井の高い大きなアトリエがあり、父は書斎にしていた。愛用のランプのスタンドで本を読みそして厳しい眼をして仕事をしていた。いつもその場所が父が自分の内面とむきあい詩を書く場所だった。ランプ型のスタンドはもう一台あって父の趣味なのだと長い間思っていたけれど、それは父の青春の日の愛の記憶を想い出させるものだったのだと、別れの詩の中から今は気づく。父の詩にあらわれる女性の影にその事を母に問うと少女のまま年老いたような天真爛漫な母は答える。
 「パパが聞かれてわづらわしいことは聞かなかったわ、」
そんな母が私は好きだ。父の世界に決して踏み込まず、こわすことのなかった母/ひと。それはその中で自分も生かされ大切にされていたことを物語っている。
 あの時、私は小学生だった。学校の帰り道、散歩している父の姿を見つけながら声をかけられなかったことを思い出す、あれは父の中に潜んでいる孤独な顔をかいま見た瞬間だった。純粋で傷つきやすい脆い面を持った無器用な人だった父。反面あんなに明るく巧みな話術、独特のユーモアで人を楽しませながら・・・。
 今、父の詩と向きあい、長い間忘れていた父を思い出す。暖かな大きな手の温もり、家族を見つめる愛のこもった眼、遠い記憶の中でしかもう出逢えない。私は呼びかける。懐かしい響きをもって 
 「パパ」・・・と。







●出典
 
夢の風景・詩集『道しるべ』1947年岩谷書店刊。
村雨・・・詩集『豊年』1942年青磁社刊。
霜・・・・詩集『荒地』1937年版画荘刊。
安心・・・詩集『望郷』1941年青磁社刊。
星・・・・詩集『豊年』1942年青磁社刊。
嘔き気・・詩集『荒地』1937版画荘刊。
冬・・・・詩集『夢の女』1948年岩谷書店刊。
青春・・・詩集『夢の女』1948年岩谷書店刊。
 
 
●年譜
 
1909年 東京に生まれる。
1927年 東京外語大(旧東京外国語学校)仏蘭西語科入学。
     アテネ・フランセで坂口安吾と知り合う。
1930年 北川冬彦の推輓を受ける。
1931年 詩集「懸崖」刊行。
1933年 ヴァレリー「海辺の墓地」詩集翻訳刊行。
1935年 ジイド「イザベル」詩集翻訳刊行。「歴程」同人。
1937年 詩集「荒地」刊行。
1941年 詩集「望郷」刊行。
1946年 本居長世(青い目の人形、赤い靴・作曲者)三女
     若葉と結婚。
1953年 早稲田大学フランス語講師。
1962年 詩集「恐怖の時代」刊行。「不信の時代」刊行。
1967年 8月2日逝去。享年58歳。

 
  
topへ
 

  presented by Poetry Japan 
All original works published in this web site remain under the copyright
protection as titled by the authors. 著作権は各著作者に帰属します。