選者  寺西幹仁 http://www3.ocn.ne.jp/~simarket/
 
 
 

 
 
 
窓際の一分
    長谷部奈美江
 
 
 
 
むかいの席の男のひとはタイ料理を食べながら
わたしのことを幸子だとか知美だとか
悪ふざけではなくて
「いいお天気だね」っていった次には
男のひとにとってわたしは幸子ではなくなり
知美や靖子になっているのだ
病気という言葉を使えば簡単だけど
男のひとはむかしはわたしの恋人で
いまだってその面影がある
広島の街の空気を吸えば少しはよくなるか
とも思ったけれど
窓の外を白い遊覧船が流れてゆくだけで
タイ料理がおいしい
しばらく心配そうに
わたしたちの方を見ていた男のひとの母親は
コーヒーを飲むことにしたようだ
知美にしても靖子にしても
男のひとの記憶にある女のひとで
年齢も関係もドレスの色もわたしにはわからない
でも男のひとはいい血色をしている
だって今でもコンピュータの修理なら天下一品だもの
なんでこわれちゃったのかな
わたしが他の男のひとを好きになっちゃったからかな
そんなのはしょっている考え方で
原因はアンナさんかもしれないし
上司や同僚もしくはアクシデントのせいかもしれない
食事がきれて
わたしが一人だけ知っている女のひとの名前をいうと
一分間だけ話が通じた

 
 
 
詩集  「The Unknown Lovers」  ミッドナイト・プレス http://www.midnightpress.co.jp/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  入浴   中田洋子
 
 
 
湯のうえに浮かんでいる
板に片足をのせ
そろりと沈め
半分沈んだらもう片方の足をのせる
 
板は何年も使われているうち
角がとれ
どんどん丸くなり
ふたりで入るときにはつま先で板を分けあった
 
下半分が鉄釜で
上半分には色とりどりのタイルがはめこまれている
ながいこと湯につかりながら
することは決まっていた
 
散らばったタイルのすきな色をかぞえる
きりりと締めあげた蛇口から
もれてくる水を舌でうけとめる
汗をかいた蛇口から飲む水は甘かった
 
春先には
入浴を終えた風呂場に
大きな麻袋につめた種籾がはこばれる
 
ぬるい湯につけて
発芽させ
苗代にまく時期をみる
 
いく晩か
浴室のかたすみに麻袋は置かれ
それを見ながら湯につかる
 
麻袋の粗い目をつきやぶり
白い芽が顔をのぞかせて
種籾の入浴は終わる

 
 
 
初出  「詩学2002年11月号」  詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  山に登る
     
旅よりある女に贈る   萩原朔太郎
 
 
 
山の頂上にきれいな草むらがある。
その上でわたしたちは寝ころんで居た。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口にあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた、
 
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのである。

 
 
 
詩集  「月に吠える」  思潮社 
 
 
 


 
 
 
 
 

  河童許すまじ   神尾和寿
 
 
 
 古池に、「河童許すまじ」の立て札が立っ
た。いたく共鳴した私は、遂に天職を知った
かと感動をする。
 
 半纏を引っかけ、ねじり鉢巻きを締め、棍
棒を手にして、池の縁に立つ。浮上する河童
の脳天を打ち砕く。脳味嗜の緑で水面が染ま
り、その中であめんぼうがもがく。
 
 数ケ月たつと、「見所のある奴」との評判
が立ち、村の長老が若い娘の手を引いて連れ
てくる。
 凛々しさに惚れたという。私は斜め下を向
いたまま鷹揚に頷く。
 小屋を建て、私は中央で堂々とあぐらをか
き、その脇で、娘が飯を炊く。
 水面からは視線をそらさない。ふつふつと
踊る白米の匂いと女の白粉の匂いを、同時に
鼻で楽しむ。額の汗を女がハンケチでぬぐう
音がする。
 
「そーら、出た、えいやっ」。
 
 至高にして無償の労働は途絶えず、そうし
て、私は河童の皿の勘定をしない。苦しむ材
料は何もない。仏壇の前で念仏を唱える心境
だ。
 女の器量はいかほどか。グラマーか、それ
とも花瓶のような体型か、体毛は濃い方か薄
い方か。
「そーら、出た、えいやっ」。

 
 
 
詩集  「モンローな夜」  思潮社 
 
 
 


 
 
 
 
 

  荒野   阿賀猥
 
 
 
私は荒野を歩いていた
高いヒールの靴をはいて、オレンジのケープをつけて、
ふざけ散らして、高く笑いながら、辣のささった言葉を速射砲のように、そちこちに放ちながら、
私は私の恐ろしい荒野を歩いていた
 
あなたも荒野を歩いていた
あなたの心臓が割れて、血を吹き
その血が地面をはいめぐるのを、私は見ていた
地面を黒々と染めるあなたの不幸を私は遠くから見ていた
 
20世紀、私たちは自由の荒野であえいでいた
自由の荒野で血を流していた
それぞれの荒野、
 
あなたはあなたの荒野を歩く
私の知らないあなたの荒野を歩く
私は私の荒野を歩く
あなたの知らない私の荒野を歩く
あなたは私が白由の国のエデンの園にいると思うだろうが
そこで全てをあざ笑っていると思うだろうが
そんなことはない
そんなことはあるはずがない
 
私は私の荒野を歩く
あなたのために黒ずみ、
あなたのために血を吹きながら、私は私だけの、あなたの知らない私の荒野を歩く

 
 
 
詩集  「山桜」  思潮社 
ブックスでも取り扱っております。 
 
 


 
 
 
 
 

  夜の草   支倉隆子
 
 
 
にんげんの夜から
水銀のように下降して
虫たちははるばると夜の草にいたる
草の耳はふるえるだろう
草の腰はふるえるだろう
触角はさびしい
にんげんの遙かな夜を
雪柳のように目ざめるひとがいて
かさこそと藁半紙のような自我にさわっている
光らない蛍もいるという
首都よ
秋葉原から青梅まで
夜の大通りは青く光る信号をならべてゆき
指さきに小さなクリーニソグ店を灯している
じんるいのシャツが雪柳のようにふるえている
このあたりで
虫のように裸体であること
草のようにまみどりであること
はるかなにんげんの夜へ
水銀のように下降して
(夜の草地よ)
声をあげて
虫たちはいっせいに草の腰を抱く

 
 
 
詩集  「身空χ」  思潮社 
 
 
 


 
 
 
 
 

  質素なしあわせ   貞久秀紀
 
 
 
蝿がきている
とき
蝿が
きている気がした
しっ
ともいわずにいたが
とんでいってしまった
とき
とんでいってしまった
気がして
私はご飯をたべていた
人生はつかのまである
とか
つかのまの
いくつもの重なりもつかのまにある
とか
っかのまにご飯をたべられるしあわせである
とか
おもいながら
昼の
ご飯をたべていると
ご飯をたべている気がしていた
蝿がきてから
とんでゆくまでのあいだ
それがつかのまか
永遠か
どちらであれその
あいだ
蝿がきているな
ふと
なつかしみ
ご飯をたべながら
歯ぐきに歯のついているのが
私であれ
蝿であれさほどかわりはない
気がしていた

 
 
 
詩集  「石はどこから人であるか」  思潮社 
 
 
 


 
 
 
 
 

  こうきと箱と   立野雅代
 
 
 
こうきは近頃
ダンボール箱のなかで遊ぶのがお気に入り
と弟が言う
 
受話器を握りながらわたしは
もうすぐ一歳の誕生日を迎える
甥の姿を思い浮かべる
 
ダンボール箱の中で
ふにゃふにゃと笑っている
 
叩くとぱんぱん音がする
それが好きらしいよ
 
誕生会には行くからと電話を切った
いくら仲が好くても
弟は長電話の相手ではない
 
晴れた日曜の午後
留守番電話の
メッセージばかり聞こえる
 
そんなにいいものなのかと
ダンボール箱を見る
古い本を全部出して
わたしも中に座ってみる
入り切らないお尻を
はみ出させたまま
ぱんぱんと叩いてみる
じっとしている
 
見上げている天井が
カーテンのように左右に開いて
青い空が
見えてきた
 
箱の中から
見ている
空っぽであり
満たされている
 
こうき
かあさんといれば二人
とうさんもいれば三人
ばあちゃんが来れば四人
でもおまえのうれしさは数のせいじゃない
 
かっぱりと開いた天井に
青い空
雲は背泳ぎ
 
わたし
目のまわりがへんだ
はみ出したお尻から空の青がしみてくる

 
 
 
詩集  「皮膚のまわり」  あざみ書房 http://www2.ocn.ne.jp/~kesi/ 
ブックスでも取り扱っております。 
 
 


 
 
 
 
 

  つるくさ   齋藤恵美子
 
 
 
 支える枝がすでにないのに、陽の方角へなおのびようと、
蔓が、蔓とからみあって、互いのおもみをたたえている。
 重ねてみても、蔓どうしでは、頼りあえずにはばみあう
のを、気づけず、ひとたび、交えてしまうと、二本は、容
易にほぐれない。自虐のようにらせんをかさね、高さをつ
いに、たもちきれず、そのまま、くらりと萎えた蔓を、荒
地でなんども、目にしてきた。
 金網の、途切れた場所でほうり出された蔓草が、自分の
影にもつれながら、宙を、まぶしく抱いているのも、あの
辛抱も、長く残れば、一途が過ぎて痛ましい。自分を他者
へふれさせずには、立つことさえもかなわないのは、たっ
た一人で身を立たすのと、同じくらいに、淋しいものだ。
 土の中からこの世にとろりと、さしのべられた触手とし
ての、蔓には、ただ前進だけが、身に許された営為だが、
手あたりしだい灌木の、高さを盗んで走るそれは、ここに
はない何かを激しく、たぐり続けているかにみえる。
 身の奥底からこみあげてくる方角にしかすぎないものに、
突きあげられて先端に、動きを深く、秘めさせながら、縦
の力と横の力をからめて蔓は、あたらしい影を曳き、現れ
たわたしの肌にも、はじめてのようにふれていた。

 
 
 
詩集  「緑豆」 
 
 
 


 
 
 
 
 



 
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