選者  島秀生 http://www.poem-mydear.com/
 
 
 

 
 
 
「盲 導 犬」
    竹内ひとし
 
 
 
 
盲導犬を連れた男性が、電車に乗り込んできた。
毛並みの整った、凛々しいというより美しいと表現したい、清潔な盲導犬。
ラブラドールレトリーバーという種類の犬だろう。
主人が座席に着くと、その横のぴたりと沿って、きちんと座った。
ぴんと伸びた背筋が、黒色の毛にとてもよく似合っている。
 
車内は静かで、混み合ってはいない。
それでも駅に着くと、乗り降りするお客がせわしなく盲導犬の横を行き来
する。
だが、盲導犬はぴくりとも動かない。
もちろん吠えたり匂いを嗅いだりもしないから、その毅然とした態度と一
枚抜いたような犬の表情とが何ともミスマッチで、見ているだけで心が和
む。
アザラシのタマちゃんを見に集まる人たちの心境も、こういう理由からだ
ろうか。いつもの車内の雰囲気が、ふんわりとしたムードに包まれている。
 
女子高生が乗り込んできた。
着崩した制服に、ぺしゃんこな学校鞄。
七人がけの席を三人で占領すると、二人が大きな声で猥雑におしゃべり
をしだし、一人は携帯電話で誰かと話しだした。
車内は、彼女たちが上げる奇声と態度で埋め尽くされる。
途端に恥ずかしくなった。
もっとも、恥ずかしいと思わなければならないのは、彼女たち自身の方な
のだが。しかし、こういう連中の行為を見て、注意できないで見ぬふりを決
め込んでいる自分自身も、断然恥ずかしいのである。
盲導犬がこの様子を見ていた。
それでふと、思い出したことがあった。
新聞の発言欄には、「犬は不潔だ、盲導犬とは同乗したくない」という投書
を目にしたことがある。これはしかし、犬の世界にも犬新聞というものがあ
れば、やはり発吠欄には、「人間は不潔だ、女子高生とは同乗したくない」
と投書されるのだろう。
 
そう考えると、盲導犬がかわいそうになった。
人間の目になるということは、犬ならば見なくてもすむ世界まで見なくては
ならない。
しかも厳しい訓練を受けてまで、見たくもない世界を見なくてはならない。
この世界を主人に見せるのが盲導犬の仕事だから。
それが、彼らの宿命なのだから。
 
喧騒の車内で、犬は車窓を眺めている。
降りる駅を窺っているのか、すばやく移り変わる景色を楽しんでいるだけ
なのか。それとも、馬鹿な生き物に対する無視なのだろうか。
盲導犬は見ている。
じっと。聡明な目で。ぴんと伸びた背筋のまま。

 
 
 
初出  ネット詩誌MY DEAR 65  http://www.poem-mydear.com/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  「惚れたほうの負け」   竹内ひとし
 
 
 
ピリリリンッ、ピリリリンッ。
『カレー作ったから、明日、持ってくね(^o^)/』 
彼女からのメールだ。
彼女のカレーを久しく食べてなかったから、ごつごつしたジャガイモや切
り株のように(キャベツの千切りは、きしめんのようになる)切れたニンジ
ンを思い浮かべながら、はりきってご飯を四合も炊いた。
 
夜遅く帰宅すると、届いてあるはずのカレーがない。
『あれ〜(^^ゞ カレーまだ(^。^)?) 
彼女にメールした。
たぶんアツアツのカレーを持ってこようとしているんだな、と、勢いよく玄
関に飛び込んでくる彼女を想像しながら、炊き立てのご飯をまぜる。
やはりご飯は四合くらい炊いたほうがいい、まぜるたびにご飯の甘い香
りが立ち上がり、腹がなった。
 
ピリリリンッ、ピリリリンッ。
彼女からのメールだ。
『ごめんm(__)m! 持ってくの忘れた(-_-;) もしかして晩ご飯なし?』 
何っ、忘れただと! そっちから約束しておいて忘れたとは、バカかっ! 
彼女に電話して怒りをぶつけようと思ったが、彼女の家は遠いしバスは
もうない。
彼女にだって悪気はなかっただろうし、これは惚れたほうの負け。
持ってくの忘れたなんて腹が立つが、なんとも彼女らしいではないか。
 
彼女にメールする。
『晩ご飯なし? カレーの予定だったから、ご飯だけ(ーー゛)』 
仕方なく、四合のご飯を前にご飯だけを食べる。
実家から送ってきていた海苔はもう湿っていたけれど、それでも、四杯
おかわりできた。
 
次の朝はやく、彼女がやってきた。
昨日はほんとにごめんなさい、と何度も言いながら、持ってきたカレーを
チンして朝食用に買ってきた辛子明太子を切っている。
「もう謝らなくいいよ、ありがとう」僕は言って、お皿にご飯を盛る。
でもね、朝食にカレーっていうのもやれやれだけど、つけあわせが辛子
明太子なんてのは、なんとも彼女らしいではないか。
 
残りのご飯を二人で食べた。

 
 
 
初出  ネット詩誌MY DEAR 60  http://www.poem-mydear.com/ 
 
 
 


 
 
 
 
 

  「霧 雨」   TICO
 
 
 
霧雨が
音もなく降る
 
傘を持たないわたしの
全身を湿らせ
頬を湿らせ
熱を
少しずつ
奪っていく
 
雨一粒の感覚が
顔中に広がり
雨に染められていく肌
 
昨日も
ここを通った
一昨日も通った
そして
明日も通るだろう
 
わたしは立ち止まり
顔を上げて
できる限り全身で
霧雨を浴びた
 
今日のわたしを
洗い流してくれますように
 
霧雨が
やさしく肌にあたる
そして
わたしの細胞に染みて
わたしの記憶に染みて
 
新しいリズムがうまれるまで
新しい視界がうまれるまで

 
 
 
初出  MY DEAR掲示板 http://6007.teacup.com/mydearmasikaku/bbs 
 
 
 


 
 
 
 
 

  「他 界」   TICO
 
 
 
胸のあたりが
すかすかで
透明な風が
スースー通り過ぎていく
 
いつもどおりの生活に
戻ったんだけど
何か置いてきたような
忘れてきたような
 
病院の荷物を片付けて
それぞれのやり場や処分に困る
家に帰って
パジャマを洗濯機にいれて
誰もいない部屋のたんすから
新しいパジャマをだそうとして
あ、そうか
もういらないんだっけ
 
空洞ができたような胸の奥で
遠く
鈍く
ぼんやり気がつく
 
もうどこにも見当たらない姿
どこにいるんだろう
ちょっとそこまで探しに出れば
近くの商店街を
ぶらりと歩いているような
 
家の中でも
そのうちトイレから出てきそうな
私の日常にだったあの姿は
私の生活の中に
もう
ないんだっけ
 
こんなに会えるような気がするのに
その存在が
当たり前のように
こんなに自然に感じるのに
 
この事実を
私はいつ
どんなふうに
のみ込むんだろう
 
この違和感を
いないってことを
どんなふうに
知るんだろう

 
 
 
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  「沼」   TICO
 
 
 
おかあさん
ここってこわいんだ
くらくて
おもくて
ほんとうのなみだもでないんだ
しってる?おかあさん
ここにおちていくと
まるでちがうふうになるんだ
ぜんぶ
そう、
せかいも
ぼくも
みんな

とてもつらいのに
くつうも
きょうふも
さびしさも
かなしみも
ふあんも
なみだになってながれないんだ
だから
もっとくらくなって
おもくなって
いっそうふかくしずんていくみたいなんだ

いつも
おかあさんはわらっていてね
ぼくもちゃんとわらうから

おかあさん
つらいよ

しってる?おかあさん
ここがどこだかしってる?
ねえ、おかあさん

 
 
 
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