選者 樋口えみこ http://village.infoweb.ne.jp/~penteka/ →
神保町マンガ喫茶 コミック・シェルター 川口晴美
行ったことなくて行ってみたいけど一人じゃこわい と彼女が言うので
そんな 阿片窟じゃないんだからさ と笑ったけど
でも そんなものかもしれない
禁煙席はあっても煙草の煙がたちこめているし
狭い場所に集っているのに誰もが黙りこくって一人ずつ俯いていて
ときどき笑い出す人の隣で眠り込む人もいる 平気で
じゃあ最初はいっしょに行ってあげるよ と 階段を先に上った
自動ドアが開くと小さなレジでは深夜のコンビニにいそうな男の子が
入店時刻を記した二人分の伝票を渡してくれる 「コーリング」
その向こうは 古い図書室のように並んだ書架にぎっしりと詰めこまれたコミック本
初めて目にしたとき その気になったらこれぜんぶ読めるのかとわくわくした
彼女もそうだろうか 「MONSTER」
渋谷では 待ち合わせに使ってたコもいたけど
(携帯電話片手に わかったじゃああと一時間くらいここで読んでるから と言って)
私はいつだって中毒患者のように没頭してしまう 「ドラゴンヘッド」
指先で繰るページのなかへ 「天使の巣」
外のなにもかもは消え去って 「それでも地球は回ってる」 だけど
効きすぎた冷房に 「夢の温度」 彼女も私も無料ドリンクはホットコーヒーを選んだ
隣に坐って 選んだ本をテーブルに積み上げ 順に手にとってゆく彼女の
腕は鳥肌立っている 「ぼくの地球を守って」
私は殺されても殺されても甦ってくる美少女の連作ホラーを読む
嘘つきで傲慢でバラバラにされてもその断片から再生し増殖するうつくしい「富江」の
左目の下のホクロに吸い込まれてゆく
向かいの席からいびきが響く 「フィータス」 この太った男はどこへ吸い込まれ
どこへ 逃げていくことができたのだろう
新宿では
終電が行ったあとに女の子たちがマンガ喫茶へ来るらしい 「狼の条件」
それはきっと 私が夜半のコンビニへ出かけ
コンビニからコンビニへときりもなく巡っている おなじ時刻
カプセルホテルもサウナも男たちのものだから 「カプセル・ヨードチンキ」
オールナイト料金を払って始発まで マンガも読まずに眠る 「カラダのキモチ」
それぞれのイスで 無防備に体をほどいてしまって 「夜のやさしい手」
おなじ 危うい傾斜
逃げることができたのだろうか どこへ
積み上がり 並べられる 知らない何人もが手にしたコミックの 「ロストハウス」
鮮やかに着色された安い菓子に似たおハナシからおハナシへと どこまでも逃れていく
後姿は 「おまえが世界をこわしたいなら」
私かもしれないから
朝がくるように何度でも甦りたい バラバラに壊れた跡も残さず嘘つきでうつくしいまま
最後のページはまだこない
横で彼女が そろそろ行こうか と満ち足りた顔を上げる
きっとこの次からは一人でもくるのだろう
そうだねおなかすいたよね と答え
時差ぼけみたいにふらつくからだを起こして 彼女と私は
外へ 出ていく
*「 」内はすべてコミックのタイトル
詩集 「lives」 ふらんす堂 http://www.ifnet.or.jp/~fragie/ →
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約束 須永紀子
<月のようでいてください>と男は言った
わたしは心底うれしく
ただそこにいて
まわりを明るませればいいのかと思ったけれど
そのうえに心をいくつにもくだいて
捧げるようにというのだった
理不尽な気がしないでもなかったが
男のことばは胸に温かく灯った
何をもってしても
それを消すことはできないだろう
白い衣を着て上座につき
わたしは心をくだいた
男が満足している間
とっさに破片のいくつかを握りしめる
穫り入れの季節がやってきて
わたしは畑に出ていった
風が髪をくしけずり
手足を雨水が洗う日々
これがほんとうの暮らしだと思った
泥色の身体。
おっとり微笑している暇もなくなって
男はもうわたしを眺めない
深い泥の眠り。
畑にも茅屋の上にも
月の光がやわらかくそそいでいる
静かな雨の降る朝
わたしは外に出て
通りががった人に破片を渡そうと思う
肌身はなさず隠しもっていたけれど
それはひふを傷つけるばかりで
もしかしたら所有するものではなく
誰かが手にして初めて光るものではないか
確かめてみたいが
男に知れたらわたしは追われ
濡れた地面に転がって
やがて溶けて消えてしまう
それは嫌だとわたしは思う
新しい心をくだいて差し出せば
男はまたうっとり眺めてくれるだろうか
それでも赦さないと言うのなら
殺めてくれてもかまわない
わたしは白い光になり
あまねく地上に降りそそぐだろう
月のようでいてほしいと男は言ったのだ
詩集 「至上の愛」 ミッドナイト・プレス http://www.midnightpress.co.jp/ →
作者サイト http://homepage2.nifty.com/poem_uki/ →
ホテル 渡辺洋
雑誌に載っているような感情を
自分だと信じているような女を思い出しながら
彼女の感情の窓を今開けている男がいるかもしれないと嫉妬しながら
――本当に人を好きになったことがあるのか
私が見つめていることさえ気づかない彼女に
遠くから何度も問いかけながら
こみ上げる感情にゆさぶられつづける
――あなたの恋人になってる暇ないのよ
顔も思い出せない娼婦を相手に
嫌らしさをとりつくろおうとして
いちばん嫌らしい私になっていたことを思い出して
――どうしてもうだめなの
もとめるはげしさに酔ってふみつけてしまった女が
真夜中の駅の入り口で脱ぎはじめるのを
きたないもののように見ていたことを思い出して
どこかへ帰りたいわけじゃない
この街をおそろしいスピードでかけ抜ける言葉を断ち切って
今はここにいない誰かと言葉をかわしたいだけだ
はじめて詩を読んだ日のように
曲がり角をこちらに向かって歩いてくる無垢の期待と
あいさつをかわすように出会いたいだけだ
○
はげしい感情のなかを歩いていた
雨に濡れた犬のように方向を見失って
すれちがう地下鉄のように熱い穴を走りまわる
処理場を這いまわる虫になって
飲みこまれまいと誰かにあやまろうとしている
とても悲しい夢を見るんだ
そして
その悲しさを誰にも伝えられない世界で目がさめる夢を
○
どんな感情も暴力、愛、言葉、あるいはまなざしにならなければ存在しない
どんな感情も私たちは隠して生きることができる
しかし同時に
自分にさえ把握されない感情の集合が退廃を生み出していることを
もう私は知っている
そのことによって
私はただ一人になるのだろう
詩集 「少年日記」 書肆山田 http://www.t3.rim.or.jp/~shoshi-y/ →
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遠雷・襲来(ホーチミンにて) 木村 靖
遅い朝に容赦ないんだ太陽
デ・タム通りでウロツキ
無愛想なウエィトレスの置いていった
コンデンスミルク入りのヴェトナミン・コーヒー
街路には
パパイヤの腐臭を積んだ籠
老婆の差し出すランブータン
熱風とホンダの轟音
君と同じ時計を持っているとは思えない隔たり
吉祥寺で買ったカシオ
市場で山ほどならんでて全部ニセモノ
さあ、どちらの時間が正確なんだろ
僕のと、何万個のニセモノ。
あくびをしている間にも日常が忍び込む
ベルギーから来た若者が「お前も毎日がホリディズか」
と訊く
「聖なる日」の連続に絶えられず、彼は、
アルコールの日常に身を浸していると言った。
明日、溺れるのか、それとも一年後、溺れたら、待っているものは一つ。
低い声で話される訛った英語は陰鬱になる。
僕は席を立つ、彼はもんどりうった、知るもんか。
君に話すこと、君に話せないこと、君に伝えたいのに言葉にならないこと
インターネット・カフェにて
意味無き日々は好奇心を摩滅させるから
時々正気に戻ろうとやっきになる。
君の言葉を受け取って、生き返る、再び街路へ。
今すぐだ、チャンス到来、ボーイズドントクライ、マイペンライ、
あの、壁に「退屈に背を丸めるゾウアザラシ」の
形の染みがあって、やけに胸がざわざわして、毎晩トイレの修理に
15分を費やす部屋を引き払うんだ、今すぐだ。フロントのグエン、さあ、レジ打て。
そしてもっと南へ、できれば海へ。どうしても南、宗教はヒンズー。
チケットをとろう、あのカフェで手配できるはず、さあ、さようならだっての。
今すぐだっての。重荷背負え、再び、階段下りろ、払えツケ、払え「すさび」。
日常っていう意味をねだるうすのろ野郎に追いつかれる前に。
初出 ぺんてか http://village.infoweb.ne.jp/~penteka/ →
中空に架かる橋 北爪満喜
会エルナンテ思ワナカッタ
視線と視線 触れたとたん
立ち止まった
長い歩道橋で
近づいてくるあなたも止まった
青白く光りをなげかける
中空に架かる橋の明かりで
深く見えるあなたの顔立ち
矢を射る瞳 唇の色
翳りのなかに探していると
高いビルのグリーンのネオンが
私達の頬を洗った
あなたも 立ち止まったのだから
みつめてください
私です
会えなくて
空腹でした
訴えた瞳に
あなたの瞳も
そらせない
柔らかな闇
立ち止まったあなたと私の
頬に降る 明るいグリーンの光で
まなざしの奥は 緑のジャングル
昼の光が背中を濡らし
私達 高い草を分け
獣の足で歩み寄る
あなたの肩は 大きく揺れて
その腕に私は倒される
組み敷く胸から あなたは溢れ
草に咲く花の匂いと混じり
横たえた私の毛並みを染める
首と首交じえ 咬みあって
草いきれ 紅く 啜り会う
充たす食事
はじめてしまう
私達
空腹で
橋の途中で
詩集 「ARROWHOTEL」 書肆山田 http://www.t3.rim.or.jp/~shoshi-y/ →
作者サイト http://www1.nisiq.net/~kz-maki/ →
ねむい魚 徳弘康代
川の魚はどこで
ねむるのかしら
よどみのない川で
ねむっている間に
知らないところへ
いってしまうのかしら
知らないところで
知ったように
すみはじめるのかしら
毎日
ね不足の魚も
いるのかしら たとえば
知った魚と
ねむっているうちに
はなれちゃうのが
気が気でなくて
はなしている間に
ふとねむくなって
ちょっとの空白に
お互い二度と
会えない流れに
入っていってしまう
同人誌 「WW vol.4」
妻 一色真理
「樹も石も花も、二枚の紙を貼りあわせて作りました。
もちろん人も。
二枚の紙の内側には、すべての答が
書いてあります」。
妻はできあがったばかりの箱庭を私に示してそういった。
私はそれ以上問うのをやめた。
* *
その夜、私は暗闇の中で、妻の箱庭から激しい息づかいが聞こえて
くるのに眼をさました。
駈け寄ってみると、紙でできた私が紙でできた妻の身体を懸命にお
しひらこうとしているのだった。
あの昼間の問いの答がただひとつ欲しいばかりに。
詩集 「純粋病」(絶版) 詩学社 http://www7.ocn.ne.jp/~shigaku/ →
だからやさしく噛んでみたりもした 金井雄二
物置き小屋の中で、蜜のあふれる自転車を見た。
はじめて乗れた日に、僕はべつの、僕の視線をもった。
車輪はどこまでも淡く、スポークは虹色に光った。
視線によって、次から次へと僕の世界は変っていった。
二つの車輪は、未知という光の中へ誘惑したのだった。
少年の中の、少年だった僕を、おもいっきり抱いて、そして動かしてくれた。
フレームは細く、だが、ねばりのある骨だ。
手のひらで僕はさすり、なぞり、指でつまんだりもした。
サドルは人間の皮膚の匂いがする。
風は僕の耳元でかすかな唸りをおこし、とおく、生ぐさいため息を聞いた。
些細な部分、つまり止めネジの一本にまで、メーカー名は刻印されていた。
同じように僕は僕の刻印を、はじめて打った。
チェーンリングやカバーは、もはや部品ではなく、しめつける部分だった。
僕は自転車の中にとけてしまいたかったし、
だからやさしく噛んでみたりもした。
詩集 「外野席」 ふらんす堂 http://www.ifnet.or.jp/~fragie/ →
★☆◎▲◇ 川田エリ
どっちにしたって苦しいのだからと、どっち
にすることもできずうだうだと結局耐えてゆ
くわけで我慢強くない人なんているのだろう
かと、考えながら歩いているととある小学校
の前で純粋な悪をみつけた。
あんまり清潔なので日頃洗浄強迫にとりつか
れている私なのにサラッと拾ってジャケット
の内ポケットに入れた。しばらく行くと白い
やさしさがウロウロ探し物をしているような
ので「何をお捜しで?」と尋ねると「悪です。
悪なんです。僕の親友が落としてしまったん
です」と泣き顔で言う。「あー、それなら学
校の前に落ちていましたよ」私がなにげない
素振りでそう答えると白いやさしさは必死に
駆け出していった。
家に帰ってジャケットからあの美しい悪を取
り出してみたがなんと悪には反吐がつき不快
な臭いを放っていた。私は発狂しそうになり
それをトイレに流すと、夜が明けるまで手を
洗い続けなければならなかった。
十数年後、私のカウンセラーが辞めることに
なり新しい人を紹介してくれたが、はて?ど
こかで見た憶えがある風貌だと、よおく憶い
出してみれば、そうだっ、あのときの白いや
さしさであった。さも、ものわかりが良さそ
うに頷くやさしさは、すっかり灰色に薄汚れ
ているにもかかわらず私の目に映るのは駆け
出してゆく白いやさしさであった。そのため
私はカウンセラーの胸で号泣していたのであ
る。
個人詩誌 「A.Ma 30号」
キモチイイコトシテ 野分 紅
ここを歩くと足の裏が冷たい
灰色になるよ
小さな寝息をたてていた祖父が
わたしの影で眼を覚ます
支える右手を
ぶるぶる震わせながら
しゃがれた皮膚の
体を起こす
寒い冬
センソウから帰ってきて
その日 雪でもふっていたの
おじいちゃんがおばあちゃんを
どんなふうにだか 抱いて
セックスして
生まれた
パパがママと
セックスして
生まれた
わたしが夫と
セックスして
生まれたんだよ
子供が
ねこじゃらしの穂をしごいて
用水路でカエルを釣ってみせた
わたしは祖父に
長い木の棒を持たせて
杖を持ったおじいさんの真似をさせた
モットセナカマゲテ!
小学館の付録付き月刊誌を
抱えて駆け回った
小さくて黒いわたしは もう
キモチイイコトシッテテ
泣きそうだよ
おじいちゃん
キモチイイコトシテ
おばあちゃんと
セックスシテ
強い筋肉を収縮させて
もっと するりと
起き上がって
おじいちゃん
キモチイイコトシテ
小さな貝殻の首飾りを
わたしに買ってきて
とげとげの茄子をわたしが採る時
左横にしゃがんで
ちゃんと見ていて
それから
大きくて黒い腕で
頭を撫でて誉めていて
変わらない風
塀に囲まれた前栽から
長方形になって縁側を包む空の
薄いホコリの中
大きな影を垂らすわたしは
小さく震える人の
やわらかな白い髪に触れたい
初出 ぺんてか http://village.infoweb.ne.jp/~penteka/ →
音楽 阿賀猥
昔はともかく、今は憎まれていない。
何か寂しい。とても寂しい。
憎まれていたい。どうしても憎まれていたい、
と、思うのだ。
そんな事を考えていると、ひどくかったるい音楽が聞こえてきた。
♪ 憎まれなくともいいじゃないか
♪ いちいち憎まれなくてもいいじゃないか
私は、音楽に合わせて軽くステップを踏んだ
詩集 「揺るがぬヘソ曲がりの心」 思潮社
ブックスでも取り扱っております。 →
家の外 八木幹夫
外は雨が降っているらしい
「おやすみなさい」
妻がいう
「おやすみなさい」
娘がいう
スタンドの明かりを消して
わたしも目を閉じる
読んでいた本の内容を少し
反芻するうちに
妻の寝息がしはじめて
わたしも眠る
だれかがわたしの家のドアを開けて出ていく
この家のひとはみんな眠った
雨ガヤンデ星ガ出テイル
冷タク気持ノヨイ風ガ
庭ノ楓ト椿ノ葉ヲソヨガセテ走ル
この家の人はみんな眠った
ヒトツノ家ニソレゾレガ別ノ眠リヲネムッテイル
明日ノ朝
女ハアワタダシク起キ出スダロウ
ソシテ台所ニ立ツダロウ
娘ハ目覚マシ時計ヲナラシツヅケテモ起キナイダロウ
男ハ布団カラ這イ出シテ娘ヲ起コシ
アワテテ時刻ヲシラセルダロウ
キットアノドアヲ勢イヨクアケテ
ソレゾレガソレゾレノ思イデ飛ビ出シテイクダロウ
この家のひとはみんな眠った
ドアをそっと開けて
だれかが階段を上がっていき
娘の寝室は覗かずに
男と女の寝室に入っていく
この家のひとはみんな眠った
男と女の寝顔をじっとだれかが見ていた
それから
わたしはわたしの遠い夢の中へ
だれかが還ってきたように感じて
寝返りを打った
詩集 「めにはさやかに」 書肆山田 http://www.t3.rim.or.jp/~shoshi-y/ →
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